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両大戦間期(1920~1940)とは


ジョゼフィン・ベーカーが「私には二人の恋人がいる。それは祖国とパリだ」と歌ったように、両大戦間期、人々はパリを愛してやみませんでした。いくつもの異なった顔をもち、異邦人たちを魅了したパリは、狂乱の時代を照らす光であり、モード、アート、舞台芸術において、世界中の注目の的だったのです。フォリー・ベルジェールで1930年4月にかかったレビュー「狂乱の一撃(Un coup de folie)」の最終場のために、ジグが描いたパリの地図はまさしく、当時のパリそのものです。 (写真)
今日でこそ、ここに載っている当時のランドマークを記憶する人はほとんどいないでしょう。しかしどれもかつては、誰もが知る場所でした。それなしには、あるいはそこを使うことなしには、当時の人々の日常はなかったのです
たとえば、次のような場所が挙げられます。

La Foire du Trône
957年にはフォア・オ・パンデピスと呼ばれていたフォア・デュ・トロン11の移動遊園地は、フォア(縁日)のなかで最も歴史が古いものです。界隈が聖アントワーヌ大修道院の領地だったことから、またの名を、聖アントワーヌの縁日とも言います。フランス革命で大修道院が破壊されるまで、ずっと続けられました。そして1805年、トローンの縁日は復活、1872年から1880年の間に、その数は1214回から2424回へと増えています。会期も伸びて、イースターを皮切りに21日もの期間開催されるまでになります。この縁日の名称は、かつての「トローン・ランヴェルセ(ひっくり返った玉座)広場」にちなみます。そして、第一次世界大戦終結後の1918年以降は、4年に及んだつらい時代を経て娯楽を渇望した来場者たちに再び持てはやされるようになります。フォア・デュ・トロンは、今日では、会期は6週間、毎かい500万もの来場者を数える一大イベントです。

 今日私たちの目からみれば、1930年代のパリはもはや過去のものです。けれどもそのパリがいかに楽しい場所だったことか!
当時のパリは経済の中心であり、カルチャーありスポーツありと、そこにないものはありませんでした。人々は、予約なしで劇場に飛び込んだり、夜は踊りに行ったり、プロでもないのに人に歌を聞かせたり、縁日で羽目を外したり、スポーツを楽しんだり、カフェのテラスで芸術家たちと出会えたり、夜更けの帰り道に商品のばらしでごった返す市場をひやかしたりしました。仕事も簡単に見つかった時代でした。
みな親切でしたし、気楽でのん気で、人生を謳歌していました。終わったばかりの戦争のことなど忘れていましたし、次の戦争の足音もまだ聞こえていなかった頃でした。


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