Collection-Piollet

両大戦間期(1920~1940)とは


ジョゼフィン・ベーカーが「私には二人の恋人がいる。それは祖国とパリだ」と歌ったように、両大戦間期、人々はパリを愛してやみませんでした。いくつもの異なった顔をもち、異邦人たちを魅了したパリは、狂乱の時代を照らす光であり、モード、アート、舞台芸術において、世界中の注目の的だったのです。フォリー・ベルジェールで1930年4月にかかったレビュー「狂乱の一撃(Un coup de folie)」の最終場のために、ジグが描いたパリの地図はまさしく、当時のパリそのものです。 (写真)
今日でこそ、ここに載っている当時のランドマークを記憶する人はほとんどいないでしょう。しかしどれもかつては、誰もが知る場所でした。それなしには、あるいはそこを使うことなしには、当時の人々の日常はなかったのです
たとえば、次のような場所が挙げられます。

Montparnasse
芸術家たちの集うモンパルナス界隈13が輝きを放ったのもまた狂乱の時代でした。かつてここには、ジョゼフィン・ベーカー、モンパルナスのキキ、マックス・エルンスト、フジタ、ピカソ、マチスなどがいました。シュルレアリスムに代表されるさまざまな芸術思潮の担い手たちや、第二次大戦勃発とともに消滅したエコール・ド・パリの芸術家たちです。なかでも、周囲に強い影響力を持ったモンパルナスのキキと、一切のしがらみから解放されたまったく新しい女性像の体現者としてのジョゼフィン・ベーカー、この二人の女性には圧倒的な存在感がありました。

 今日私たちの目からみれば、1930年代のパリはもはや過去のものです。けれどもそのパリがいかに楽しい場所だったことか!
当時のパリは経済の中心であり、カルチャーありスポーツありと、そこにないものはありませんでした。人々は、予約なしで劇場に飛び込んだり、夜は踊りに行ったり、プロでもないのに人に歌を聞かせたり、縁日で羽目を外したり、スポーツを楽しんだり、カフェのテラスで芸術家たちと出会えたり、夜更けの帰り道に商品のばらしでごった返す市場をひやかしたりしました。仕事も簡単に見つかった時代でした。
みな親切でしたし、気楽でのん気で、人生を謳歌していました。終わったばかりの戦争のことなど忘れていましたし、次の戦争の足音もまだ聞こえていなかった頃でした。


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